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堀江貴文×落合陽一『10年後の仕事図鑑』

・”普通”って何で?普通が普通じゃなくなる時代。速度が早くなっていく。

・2011年以降(記憶曖昧)は働き方が変わったので、時代の変換点に挟まれて苦労する学生達。センター試験と就職活動。

・お金は貯めるためのモノではない。新しいことをするときに必要なだけ。しかしそれもクラウドファンディングで賄える時代。

・修行ではなく研究。寿司を作り続けて敷居が高くなることに価値があるか?

・昭和以降の働き方は千と千尋の神隠し。千という名前を与え元の名前は隠して生きている。サラリーマンの雇用と同じ。給料の支払いという契約によって個人の業績を会社の名で覆い隠す。

・信用が繋がりを生む時代。お金欲しいがために千と千尋の神隠しをする必要はない。むしろ自分の実績を名前と共に世の中に刻み込むために無償で仕事を受けるのも戦略。

・人と違うこと。価値として相手に渡せるスキルが必要。売却価値のある「やりたいこと」一つのインパクトが小さくとも、掛け合わせて唯一無二の存在になる。

・仕事は作る。やりたいことは何?毎日発信する。2〜3年の間にポジションを獲得しておかないと、もうAIに台頭されてしまう。

・AIに代われないもの、人間のモチベーションを上げる行為。

 

異常な程モチベーションを上げる仕組みの内容だった。つまりそれほど今の日本のモチベーションは低いのだろうか。お金を要しない彼らがわざわざ書籍化して全国流通させて誰にでも理解できるようにしておかなければならないほど、彼らの思う世の中とズレてんだろうか。「普通」に毒された意味のないルールの中で真面目なフリをし続けることで生きていけた時代はとっくに終わっている。思考力を標準装備している人は楽しいことで楽しく生きていける。でも裏を返せばそれくらいのめり込まないと無のままであるということ。カテゴリーは0から100まで豊かなディテール、そしてそこから更に1000、10000みたいに拡張性があるけど、それらひとつひとつの奥行きは0か1。誰もがプロになることを求められる。つまりどんな生き方を選んだとしても責任から逃れることはできない。だから信頼がお金の代わりになる。そもそもやりたいことを続ける才能もない人だっている。捉え方によっては辛辣な社会。人生を楽しむためにはポジティブになることが必須条件。高いモチベーションを保てない奴は良き指導者と巡り会えると良いね。

2018/4/3

YouTubeでみた池上彰の番組

バルト三国リトアニアエストニアラトビア

エストニアは世界一の電子国家で、個人情報すべてをデジタルで管理している。現金は持たず、国民のほとんどがデビットカードで決済する。デビットカードは口座直結で個人の貯金額がまるわかりなので、確定申告などの面倒くさい手続きもネット上でぽちっと、時間がかからない。

サイバー攻撃対策は、情報を国外でバックアップすること。どこにあるかは国家機密。

・電子国家になった背景には国が辿って来た暗い歴史がある。エストニアはこれまでドイツ、スウェーデン、ロシア、そしてソ連の植民地だった。長い間自国の独立を認められず弾圧され続けたこの国は、そのうち国を電子空間の中に移そうと考える。電子空間の中の国家なら、実世界にいる敵から支配の手が及ぶことはない。

ソ連の植民地時代にエストニアが共和国の役割として与えられたのがITの研究部門だった。そのためエストニアでは古くからプログラミングなどのデジタル技術開発が進んでいた。1960年頃には既に国家を電子に移行する計画と取り組みが進められていたそう。

 

弊害はないのかな。デメリットにばかり目を向けていないで、さっさと変えて適応していく感じ、潔さがエストニアの人のインタビューに現れていて面白かった。エストニアの人にはそのスピードや変化の仕方が普通で、何も疑ってないように見えた。良くも悪くも大半の日本人にとってはまだ理想の中の世界。個人や企業が変わっても、国家が進化するのには時間がかかりすぎる。

 

『彼氏をローンで買いました』最終回

なんだその終わり方。

先週のクズで優しい男と戦場で戦っていて優しさに気が回らない男の話。古くさくてうざい言い分だけど理解できない話ではないから、改めて言葉にされると時代をかき乱す程度の破壊力がありそうな気がした。マイノリティを保護する風潮に寄りすぎた現代の揺り戻しをしようとしているところに共感できたし、そういうものが今の新しい作品として出回っているのも興味深いと思ってた。ポスト平成的なトレンドが受け入れられる時代なのかな?とかって考えたりして。だから物語の最後は取り残された価値観を行き過ぎた流れとぶつけて、新しい答えに導いてくれるのだろうとわくわくして待ってた…けど。

結果は、取り残された時代のただの捨て台詞だった。時代を変える気もない、自分を変える気も責任もない、ただ主張をして押し付けるだけ。そんなのドラマの中で散々貶していた今の時代のやり方と一緒じゃん。取り残された価値観を懐古してマイノリティとして主張しただけじゃないか。

もう一度言う。なんだその終わり方。作品に私欲混ぜすぎでは。

2018/4/2

 西川美和監督『永い言い訳

ひとりひとりの細かい動きが全て自然で、どれも本当に生きている人間の人生だった。主人公のクズっぷり、他人の気持がよくわからないところ、自分しか頭にないところ、誠実な生き方をしている人への負い目、逃避、分かる部分が多すぎる。死んだ妻のスマホに残っていた下書きのメールを見て、自分の哀れさと向き合わなければいけなくなった時の血の引く感じ、行き場の無い怒りと否定と事実が己の身にしみ込んでいくような精神状態、自分の過去を追体験しているような気がした。

この人は幸せになんてなれない。なってはいけない。

受賞パーティや美容院での周りの人間の優しさ、辻褄を合わせたように綺麗に収まった現実、自分たちのズレに言及しない主人公以外の人間もそれなりにクズ。でも、そうやって鈍感に生きている。もしかしたらその歪んだ現実やズレに敏感になってしまうのは、今まで鈍感に生きすぎたて人を見下した結果、絶対に心の底から笑えないことをしてしまったという自覚のある主人公だけなのかもしれない。

他人ではなく自分が生きる行為すべてに疑いの目を向けざるをえなくなった主人公は、人間と、人間じゃないところの境界線を死ぬまで一生這いずり回るのだと思う。